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2011年12月25日日曜日

仕事を探している人へ

仕事探しはとても大変である。若い人でも死に物狂いでないと見つからない。ましてや40代、50代、60代の人は言うまでもない。
しかし、ここでよく考えてほしい。なかなか仕事が見つからないという理由で好きでもない仕事にまで応募している自分はいませんか。好きでもない仕事をしていい仕事ができるでしょうか。いい給料がもらえるでしょうか。
足元を見られるだけです。
早く仕事を見つけなければならないのは間違いありませんが、したくもない仕事は絶対に選ぶべきではない。
お金がなくて食べるものにも困り、死にそうになる直前までは自分を安売りしてはいけない。
本当に自分がしたい仕事を選んでください。
好きでもない仕事をしてわけのわからない上司の下で働くなんて、くそ喰らえですよ。
あなたにはあなたの素晴らしい魅力があるのです。
好きな仕事をやってこそ、道は開けるのですから。

2011年12月3日土曜日

何だか最近おかしいと思いませんか?

何だか最近おかしいと思いませんか?
テレビを見ても、周りを見ても、ほんと厭(いや)になります。
仕事がちょっと忙しかったこともあり、ブログを書く気になれず、しばらく休んでしまいました。
今日は元気出して、少し本音を言いますね。

何がおかしいって?ですか。いろんなことがおかしい、変ですよ。
あれがおかしいとか、これがおかしいじゃなく、ほとんどのことが。
真面目(まじめ)で、何事もちゃんとして、誠実に、言うことと心のうちが同じ、騙(だま)すための嘘(うそ)をつかないで、身を常に正した生き方をしている人が少なくなった。
単に一般の人だけではない。政治家も企業もテレビも新聞も、なんか変だ。
表向きは立派そう、ちゃんとしてそう、嘘はついていないみたいだが、実は自分の都合だけ、自分の保身だけに精力を使っている人が実に多くなった。
主張している論理が得て勝手。自分(自分達)に都合のいいことだけを抽出して話を作り上げる。
そういう行動する、主張する人、利益を得ようとする、そういう人が日本人に多くなった。

道徳とか、恥を知るとかそういうことは大事なことではないでしょうか。
世の中で生きるためのエチケット、マナーは大切じゃないですか。
言ったもん(者)勝ち、みたいなことが横行している。

人に感謝する、自然の恵みに感謝する、足りることを知る、自分をする、そういう基本的自覚・認識が人には必要ですよ。
こういう基本を守らないと世の中、ギスギス(ぎくしゃく)して世の中に「怒り(いかり)」が充満してしまいます。
心に余裕がないと失敗も多くなります。
群れの中に誰か一人、自分勝手な「自己虫」がいると群れの平和が乱されてしまいます。

あまり無茶なこというのは、止めましょうよ。
自己責任の部分は自己の責任で解決しましょう。
世界の平和のために。

2011年9月18日日曜日

風を感じ、陽の光を感じ、季節の移り変わりを感じ、時の流れを感じる


今日はとてもいい天気だった。空が少し高くなって空気も少し澄んできた。

埼玉県の川越の街並みを抜けると田園風景が広がる。稲の穂はすっかり稔り、頭を垂れる。「実るほど首を垂れる・・・」と小学校時代に何度も何度も教えられたことを思い出す。
すでに刈り取られた田んぼも多い。刈り取られたばかりの田んぼの縁を歩くとあの独特のわらのいい匂いがする。もみ殻を焼いているところもあった。
みんなみんな秋の匂いだ。

今日は昼の2時半から夕方の6時半まで歩いた。
30度を超す暑さの中、歩き始めた。
朝食は摂ったがダイエットのため昼食は抜いていたので、歩き始めて30分もしないうちに暑さのせいもあって調子が悪くなってきた。コンビニに寄りおにぎりとレモン入りの水を買った。生き返る思い、おにぎりはこんなに美味しいかと思うほど美味しかった。食べて20分くらいしたころからエネルギーが戻って来た。血中の糖分濃度上昇だ。すっかり元気になった。




首には出かける前に水でぬらしたハンドタオルを巻いて、iPodで音楽を聴きながらどんどんと歩く。
颯爽(さっそう)と歩く。
今日の歩いた距離は、18.7km。マラソンの選手は42.195kmで私の歩いた距離などその半分にも満たないが、実際歩くとわかるがかなりきついです。私と同じようにウォーキングしている人に何人も出会う。こっちが挨拶すると相手も笑顔になって挨拶する。気持ちい瞬間だ。山登りや高原などを歩くとき、すれ違う人にお互いに挨拶する。あれと同じ。「挨拶」には人を気持ちよくさせる何かがある。
途中、川の土手を歩く。舗装されていて歩きやすい。もちろん、シューズはエアの入ったウォーキング用のものを使用している。足首にも負担がかかるのでちゃんと吟味したいいものがいい。

土手を歩くとき、ときどき、後ろ向きに歩く。長く歩くとき、ときどきこれをやると使う筋肉が違うので楽になる。
後ろ向きに歩くと普通では見えない自分の歩いた跡が見える。景色がどんどん遠のいて行くその風景が見える。前に向かって歩いているときに景色が後ろに消えて行く速さよりも、後ろ向きであるいているときに遠のく景色の方がずっと速く感じる。
歩いた跡、歩いた道が見ながら歩くと時間が過ぎていることがよくわかる。
遠のいた距離は時間が経過したことを表している。人生が確実に過ぎていることを実感できる。
今まで一体どれだけの人生をこうして歩いて来たんだろうと思った。
そして、自分は一体どこに向かって歩いているのだろうと思った。
「後ろ向きになって歩く」、みなさんももし機会あったらやってみてください。ただし、後ろ向きでも安全なところでやってくださいね。

長い長い川の土手をずっと歩いていると、
風の流れを感じる、太陽の光が飛んで来るのを感じる、季節の移り変わりを感じる、虫の鳴き声が聞こえる、草木の話声が聞こえる。
「時が過ぎて往く」のが突然よくわかる。そう、突然、我々は果てしない宇宙の中のこの地球に今、生きているんだと知らされる。
時の流れを感じることは、この往きつく先には「死」があることにつながり、一種の焦りにも似た感覚になるが、風の流れを体に受けたとき心地いいように、思わず両手を広げたくなるような快さを感じるのである。
「動く」ことから来る快感なのだろう。

時は今も流れている。何かに向かって。きっと何かに向かっている筈だ。そう思いませんか。






2011年9月3日土曜日

みんさん、お元気でしたか。お久し振りです。

ここのところ、台風12号の影響で蒸し暑いですね。電車通勤の人はよくわかっていますが大変です。マイカーで通勤の人は渋滞はあるでしょうが快適ではないでしょうか。私も以前は車通勤をしていました。電車のいいところは、エコということがありますが、座ることさえできれば居眠りもできるし本も読めるし、考え事にふけることもできますしそれはそれで快適です。ただ、立ち通しのときは最悪です。

明日あたり、台風は四国に上陸するのでしょう。台風は自分自身はぐるぐる反時計回りに回転しています。今回、のんびりとなかなか日本の南海上から動かないのはジェット気流がいつもよりずっと北の方を通っているので台風を運んでくれないからなんですね。台風はでかいですが、ああ見えて自分では動けないのです。

先週の土日に、例によって入間川の土手を自転車で散歩、サイクリングしました。
毎日暑いけど、少し秋の気配を土手の草花や風の動きに感じますね。空の青さや雲の白さが澄んで来ましたね。
時が移り変わるのは楽しいけど、ウイークデイが早く過ぎて土日が早く来るのは嬉しいけど、それって人生の残りがどんどん減って行っているってことですから、あまり単純に喜んでもいられません。
毎日をもっと大事にしないと、1時間1時間を大切にしないといけませんね。
遊んでもいい、テレビを見ててもいい、何をしてもいいけど、ひと時ひと時を味わいながら生きたいものです。


気がついてみるとボーとしていたなーと思うと気があっても後悔したりしないことです。ボーと時を過ごすことができたことに感謝し幸せに思うことではないでしょうか。

電車への飛び込み事故は特に首都圏では相変わらず、頻繁に起こります。駅や車内で見るあの「人身事故」の表示です。あー、また誰かが死んだ。昨日も今日も連ちゃんだーなんて言う程度にしか受け止めない。ひたすら、電車が平常に戻ることだけを考える。
しかし、電車に飛び込んだ人のことを考えてみてください。人にあれだけの迷惑をかけて命を絶つ。あんな迷惑なことはない。「またかよ。」なんて思われながら死んで行く人。
大きな悩みを抱えていたのでしょう。自分ではどうすることもできなかったのでしょう。人に話しても仕方なかったのでしょう。

「もう駄目だ。もう嫌だ。」と思うそんなとき、「死にたい」思う気持ちを回避する方法を書きますので、そういう気持ちになった試してみてください。電車に飛び込む」前に、「列車に飛び込む」前に、今から書くことを試してください。
「最悪の気分」「最低の気分」から、「憂鬱でどうすることもできない」「絶望」の淵から立ち直れる方法です。あなたの周りにそう人がいたら、教えてあげてください。
1.紙と鉛筆を用意してください。ノートでもいい、日記でもいい、それに自分のお気に入りのボールペンでもいい、とにかく書くものと紙を用意してください。
2.その紙(ノート、日記)に今の自分の気持ちを書いてください。正直に。
あなたの言葉で。あとで人に見られることなど考えてよそ行きの言葉で書いちゃだめです。汚い言葉でもいいのです。今のあなたの気持ちを余すことなく書いてください。
3.次にその気持ちの理由を書いてください。先程書いた一つひとつの悪態言葉の一つ一つにどうしてそう思うのか書いてください。それも頭に浮かんだ言葉通りに。くれぐれも他人に読んでもらうなんて考えていけません。
4.次は、そういうことは昔にもあったか思い出してください。きっと、同じようなことが起こっている筈です。事件は違っていても同じ気分になったことがあるはずです。それを簡単に書いてください。
このあたりであなたの目の前のノートや紙はかなりいっぱいになりましたね。それでいいんです、ぐちゃぐちゃに書いていていいんです。殴り書きでいいんです。線をひっぱってどんどんかいてください。
5.さて、その昔同じようなことが起こったとき、あなたはどうしました。解決したか解決しようとしたはずです。それも書いてください。(少し疲れて来ましたか。さっきまでの感情が少し薄らいで来ているかも知れませんが、もう少し続けましょう。)
6.それでどうなったか、書いてください。解決しようとして何かをしましたね、それでどうなったかです。
どんどん書いてください。線をひっぱってどんどん書いてください。
7.あと少しです。最後に、はじめに書いたそれらの感情の源(頭にくること、憂鬱になっていること)をあなたはどうしたいのか書いてください。あなたはどうなりたいのか書いてください。どんな状態になりたいのか書いてください。

どうですか? まだ、死にたいですか。あなたの望みは死ぬことでしたか。
私も死にたいと思ったことは何度もあります。いろんなことを試しました。
もし、あなたに生きる希望が持てたら、それを持ち続ける方法を今度は書きましょう。
もうあなたは大丈夫です。心が豊かになり安定して来ます。
そしたら、一緒に飲みましょう。話をしましょう。苦しかったこと、楽しかったこと、大事にしていることなどなど。
あなたはまじめで、責任感が強く、向上心があり、一生懸命に生きようとして来たからこそ死にたいと思ったのです。あなたは、ほんとうにとてもいい人です。私はあなたに会ったことはありませんがそう信じます。

では、いつかお会いできるときを楽しみにしています。



2011年7月10日日曜日

知る人ぞ知る「高山三滝」

7月9日、うだるような暑さ、川越も朝から猛暑。
この日、関東地方は梅雨明けした。

我々友人3人は、涼しいところに行こう!ということで飯能、入間の越生(おごせ)の山の奥に行った。









越生の「高山三滝」に行った。うっそうと茂る樹木、杉や檜が天に向かっている。
シダの葉が風に涼やかだ。
 

三滝というのは、三つの小さな滝が連なっているからこう呼ぶのだろう。
水が実に綺麗だった。


 庭園を思わせる川の流れがそこにはあった。

  


滝の2、300メートル手前に小さな茶屋がある。イワナとニジマスが池に飼われていて塩焼きとかイワナの骨酒を売っていた。

私はコーヒーを飲んだ。コーヒーといっても街中の喫茶店のようなコーヒーが出て来る訳ではない。缶コーヒーだ。



次に高山不動尊に行った。           かなり古いものらしいが、お参りしておみくじを買った。みんな「吉」でひとまず安心。
帰りは寄居町で熊本出身の女将が経営する瀟洒な日本料理店で夏のコース料理に舌鼓を打った。お腹一杯になって友人の運転する車でもうすっかりに夜になっていた川越に戻った。

感謝の一日だった。


2011年7月3日日曜日

2011年夏到来! 節電の夏! 節約の夏! 

7月2日土曜日、3日日曜日、今年の夏はいつもの夏と違う。
木金曜日を休日にして土日出勤シフトの企業が自動車業界などに始まった。
電車が空いていていいと言う人、やはり土日は調子がつかめませんと言う人・・・

今年の夏も昨年同様暑くなりそうだ。
先月末も過去最高の暑さを記録した。

いつものように散歩した。正確にはいつもとは違う、真昼間のカンカン照りの昼日中に熱中症に挑戦するかのように散歩した。

今日はひまわりが咲いていた。背丈2メートルくらいのでかいひまわり。さすがに夏の花だ。太陽が好きらしい。





太陽が好きと言えば、ザクロの赤い、やや橙色がかった赤い花。
実に夏の空に似合う。空に向かってぐんぐん伸びようとしている。
このときを待っていたと。




立ち葵って花はゴージャスだ。
薄い花弁が風に揺れる。
夏の暑い日、街角でデートの待ち合わせ、まるでそんな立ち姿。
暑さなんて感じない、ただひたすら何かを待っているようだ。











入間川の土手を歩くと土手を駆け上げる風が爽やかだ。
河の水量はまだ多い。
ところどころに堰が設けてあり、水田に水が流れるようにしてある。
水が豊富にあるということはそれだけで幸せなことだ。
青い空に白い雲が浮かんでいるというだけで幸せなように。

土手の上から河原の草むらに下りた。
夏の草の匂いが清々しい。
生きている匂いだ。
こんなに暑いのに元気いっぱいだ。




川越の市役所から札の辻の交差点を横切り、そのまま西に向かって1、2分歩くとなぜか、ペンギンが立っている。
そこから10メートルと離れていないところにはカバがいる。とても暑そうだ。カバは水でも掛けてやればそうでもない感じだが、ペンギンは参っている感じだ。
客寄せに頑張っているのだ。








散歩しているといろいろな風景に出会う。








その後、新河岸川を登るように歩いた。
今年の夏はいつもより、ずっと暑いかも知れない。

そんな暑い夏だが、少しでも楽しみながら過ごしたいたいものだ。

2011年6月25日土曜日

埼玉県川越市郊外の散歩は、自然あり、歴史あり、花あり


 「散歩は好きですか?」 って尋ねられたら、 あなたは何と答えますか。
「散歩は誰かと一緒ですか? それとも一人ですか?」
部屋でずっとパソコンで文書を作成していたりすると外の空気を吸いたくなって、散歩に出かける。悩み事があるとき、気分がとても落ち込むとき、ウォーキングシューズに履き換え散歩に出かける。
深い悲しみやどうすることもできない辛さに、夜道を散歩すこともあろう。
人生の岐路に立たされたとき、その結論を求めて歩きながら考えることもあろう。
家の中で悶々と思い悩むよりずっといい考えに到達できる。

散歩は、ときに人生の甘露である。

1999年の年明けに生後1ヶ月のゴールデンレトリーバーが来た。名前は「マリー」、マリーさんは散歩がとても好きだった。「サンポ」という音に敏感に反応した。「散歩」というと寝ていても急に頭を持ち上げ耳をピンとさせ、「えっ、散歩行くの?」って言う。ときどき、マリーさんをからかって、「一歩、二歩」って紛らわしいことを言うと頭をかしげて、一生懸命聞いた。「散歩、行く?」 「うん、行く!」ってむっくと立ち上がり、リードをくわえて来た。
その頃は、埼玉県の蓮田市に住んでいたので蓮田の街をあちこち行った。そのうち、子供達が大きくなり、通学の問題から杉並区の善福寺に引っ越した。蓮田と違って交通量が多いのでマリーさんと並んで道路を歩くのは結構大変だった。

マリーさんは、私によくこう言った、「散歩、楽しいね。楽しい? 私は散歩、大好き!」って。
しかし、2007年に年が改まって急にマリーさんは身体の調子が悪いと言い出した。
そう言えば、その前の年の春か夏ごろに、散歩の途中でよく「もう、帰ろう!」と言って私を見ながら立ち止った。
江東区にある動物病院に緊急入院した。肝臓がんと心臓に血管腫ができていた。ICUに入って大手術をした。しかし、ICUに入ったまま容体はよくならなかった。結局、先生から家に連れて帰ってあげた方がいいしょうと言われ、家に連れて帰った。家に戻って一瞬嬉しそうにしたがもう嬉しさを表現する元気はマリーさんにはなかった。
二日後、家族みんなに見守られて「風」になってしまった。
2007年2月7日のことだった。
みんな、それぞれに泣いた。そう、今でも思い出すとマリーさんの楽しそうな顔を思い出す。

散歩には思い出もある。人は思い出を整理しながら、新しい思い出も次々と創り出して行く。
楽しい幸せな思い出、悲しくて辛い思い出・・・・・

埼玉県川越市を流れる入間川に沿って、川越市水上公園がある。花菖蒲が池のほとりにたくさん咲いていた。

白い花菖蒲も綺麗だ。紫色のものしかないと思っていたが、色いのもあるんですね。
 水上公園は、川越市街の西に位置し、町の中心からは外れている。
ここから、東に歩き町の北東部に川越城本丸がある。

                     大きな古木のそばにアジサイが綺麗に咲いていた。 
 
今日はその後、さらに北に向かって歩いた。再び入間川に出た。落合橋のたもとに着いた。それからは川の土手に沿って南下した。川について言えばさかのぼることになるが、南下である。途中、草花に出会った。  









田んぼの稲も株分けが進み、緑も濃くなり随分成長していた。 

2011年6月12日日曜日

あれから3ヶ月 そんなに経ったとはとても思えないけど・・・

「3月11日午後2時46分 東北地方を中心に大きな揺れを感じました。津波に警戒してください。・・・」 あれから3ヶ月が経った。とても3ヶ月もたったとは思えない。

毎日、毎日地震による被災状況と福島第1原発事故のニュース、関連の特別番組・・・
テレビを見ていて、ラジオを聞いていて、あまりの衝撃的悲しみ、辛さに何度涙を流したことだろう。
身につまされる辛さに私の心は自動的に共鳴し、瞬間的に悲しみと涙が襲って来た。
きっと日本中の人が、いや世界中の人がこんな経験をしていることだろう。
親を探す子供、子供の生存を信じて今も探す両親、見つけ出すまでは何も手につかないと言う。
地震は人々の人生を大きく変えた。

このブログを書き始めて、まもなくあの地震が起きた。
私のブログは自然に地震関連の内容になって行った。
そのうち、何を書いたらいいのか分からなくなった、何を書いても何も解決できないもどかしさに書けなくなった。
こんなブログでも見てくれている人がいて、「最近書いていませんね。」と言われた。
今日、3ヶ月経った一つの節目なので、それを理由に、それをきっかけに書いています。

1ヶ月以上も休んでしまったのは、こういう訳だったのです。もっとも理由らしいことは何も言わず、こういう訳だったのですと言われても理解できないでしょうが。
一言でいうと疲れたのです。
被災した人は、我々のような非被災者とは比べようのない辛苦、苦痛、困難、ストレスを感じて来られたことでしょう。
我々非被災者も少し疲れています。
気持ちだけは一生懸命なのだと思うのです、自己分析すると。
被災地は絶望的被害、いったい復興できるのかと疑いたくなるような風景。
だけど、だけど、必ず復興できる、復興するのは間違いことですよね。
焦らないことにしましょう。これは提案です。
急ぐけど、焦らないことにしましょう。
そう考えれば、少し精神的に楽になるかも知れません。

瓦礫だって、1年分とか何年分とかですから、たいがいの量じゃない。
2、3ヶ月で片づけられるようなそんな量じゃないですから、ここは焦らないで片付けて行きましょう。
瓦礫っていう言葉も嫌な言葉ですね。
あの地震までは家族の団欒、幸せを育んでくれた家や会社。
それが地震と津波で粉々に壊れてあんな風に・・・
粉々になってしまった、無残な姿に変わり果てた幸せのかけら・・・

壊れた事実にはもう振り返らないで、作り直すしかないですね。
悔しいけど壊れたものは諦めて、新しく一つずつ一つずつ作り直しましょう。
とっても辛くて悲しいけど、今、目の前にあることを片付けて行くことが明日につながると信じて・・・

いつかあの大地に人々の笑顔と楽しい声が聞こえて来る日を。
いつかあのふるさとに花をいっぱい咲かせましょう。

2011年5月3日火曜日

想定外のことは起こっても何ら不思議ではない

「なんでこんなことが起こったのだ!」
「どうして、こういうことが起こることも分からなかったのか!」
「どうしてこういう事態が起こることを想定して対策をしておかなかったんだ!」

「自然は時として牙をむいて、我々に襲いかかって来る。」
「自然は人へ優しさや安らぎを与えてくれるが、その自然の裏側には恐ろしい残酷な顔がある。」

のような意見を言っている人が沢山いますが、こういう考え方は適切な認識でしょうか。

この世の中で起こり得ることは、すべて想定できる、想像し得ると思うのは「おごり」でないでしょうあか。
人はこの宇宙のできごとのどれだけを知っているでしょうか。
ほとんど何も知らない、分かっていないというのが現実ではないでしょうか。
「そんなことはない、かなりのことが分かって来ているよ!」という人がいるかも知れませんね、
それは現在、我々人類が知っていることがこの宇宙、森羅万象のほとんどすべてに近いと思っているからです。
宇宙と言わず、この地球のことも、我々の身体のこともほとんど分かっていないのが事実ではないでしょうか。
かなり知っているように見えても、それはほんのわずかです、極一部に過ぎません。
まず、我々はこの世の中のことについて、これだけ科学が進んでいるように見えても実はほとんど分かっていないことを認識すべきです。
そう思えないのは「おごり」があるからです。
「分からない」から分かろうとして努力し探求する。そうするとその分少しだけよい生き方ができるようになるということではないでしょうか。

今回の東北大震災は、一般的には想定外ということかも知れません。
しかしながら、阪神・淡路大震災後、地震調査研究推進本部が設置され、最新の地震研究成果を取りまとめ全国地震動予測地図というものを発表していますが、その中で、宮城県沖の大地震M7.5前後は向こう30年以内に起こる確率は99%と発表されていました。また、三陸沖南部海溝寄りの領域と同時発生の場合、M8.0前後と予想されていました。
これから起こる地震では、想定東海地震M8.0程度87%、東南海地震はM8.1前後が60~70%、南海地震はM8.4前後50~60%と予測されている。これらの地震が他の地震と同時に発生する場合はおよそプラス0.1~0.5と想定される。※詳細は、「全国地震動予測地図 2010」を参照ください。
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/09_yosokuchizu/index.htm
東北大地震は、M9.0でしたがこれは複数の地震が連続して発生しこの評価になったと聞いています。この規模の地震を想定していた人はたくさんいるでしょう。
このときの津波がどの程度のものかは過去の文献や言い伝えからもかなり想定されてしかるべきだったかも知れません。
しかし、世間一般的では想定外でした。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
我々の中に「おごり」や「甘さ」があるからでしょう。高をくくってしまって、いわゆる「思いこみ」といえるかも知れません。

自然の脅威、自然への畏敬の念は忘れていけません。
自然は、人間の力で、人知で、抑え込めるようなそんなものではありません。
自然は、偉大で、巨大で、繊細で、大胆で、優雅で・・・ すべての形容が当てはまるほどの多様性、多面性を持っています。
そういうものなのです。
それを人間が勝手に、自分たちの都合のよいように自然を形容し思い入れ、思い込みを持っているに過ぎません。
自然はそんな人間の思いなど知っちゃいません。
我々は自然のあるがままの姿を受け入れ、自然の中で生きて行くという姿勢を持つことが必要です。
自然の中で生かされているというくらいに考えてちょうどいいのではないでしょうか。

大事なことは、
我々は自然を抑え込むことはできないということ。
想定外ことが起こるのは何も不思議なことではない、極当り前のこと。
人はこの宇宙の運行、自然の姿についてほとんど何も知っていないということ。
想定外のことは起こり得ることを想定して、そんなときにどういう行動をするかを予め決めておくこと。
想定範囲は常に最新にしておくこと。
自然の猛威に対する備えには限界があること。
ただ、備えをしておくと被害を少なくすることができること。

人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言います。確かにこの「忘れる」ということは生きる上で大変大切なことですが、何もかも忘れてはいけません。
学習したことを明日のために、未来の人類のために残す努力をしましょう。

2011年5月1日日曜日

しかし、大変なのはこれから・・・ 「どうして・・・こんなことに・・・」という思いが

人は、大事なものを失うとそのときは勿論大変だが、むしろしばらく時間が経ってからの方がずっとずっと辛い。
私自身も自分の命と同じくらい大事なものを1週間の差もなく同時に複数失ったことがある。
そのときはおまけに進行がんに罹っていて、数年後に訪れるであろう死に直面していた。
ただ、手術はまだ受けることができなかった。
自分の身体よりも切迫した事由があったからだった。
8ヶ月後、がんの手術をした。幸いというか奇跡的に死の淵から蘇った。
執刀医の先生も運がいいと驚いていた。

しかし、それから半年くらいして「喪失感」というものを味わった。
夜、ジョギングしてると自然に涙が溢れて来た。
悲しいとか辛いとか思わなくても涙がポロポロ出た。
本当を言うと、涙が出るから人目を避けて夜に走った。
さらに精神的に辛いからもっと苦しい「走る」という苦痛を与えることで自分を誤魔化すために走った。
毎日、走った。毎回、涙が溢れた。
もう何もほしくないと思った、ずべての希望や夢が消えていた。
いつでも死ねると思った。この世に何の未練もなくなった。
こんな毎日にさよならするのに1年以上かかった。
たくさんの本を読んだ。藁をもつかむ気持ちで、どこかに生き延びる光がないか、どうすれば元気なれるか、どのような考え方をすればこの精神的苦痛から脱出できるか探した。
潰れそうな自分の心を励まし励まし、勇気づけ、元気になれと自分に言い続けた。

大震災で家族を失い、大切な友人を失い、住むところさえ失ってしまい、
財産もすべてなくした人もおられるだろう。
生きていること自体が地獄に感じるかも知れない。
自分も一緒に死ねばよかったと。

一人ぼっちでいる時間はできるだけ少ない方がいい。
家の中にいるよりは、用がなくても外に出た方がいい。
辛いとき、悲しくて仕方ないとき、もう死にたいと思うとき、1時間以上、歩いたり走るといい。
自分の気持ちを素直に紙に書いてみるといい。
思うことを全てを紙に書いてみるといい。

人生を止めるのは、今でなくてもいつでもできますよ。
急ぐ必要はない。今でなくても、明日でもいい。
明日でなくても来年でもいい。
別に自分で時期を決めなくても、自然に来る最期のときでもいいじゃないですか。
自分でも気がつかないままに心肺が停止するときまで待ってもいいじゃないですか。

それまでいいことばいっぱいあるかって? そりゃー、ない。
いいこともあるけど、やっぱり辛いことや苦しいことが多いかも知れない。
だけど、予想もしなかったようないいことがあるかも知れない。
素敵な人との出逢いがまたあるかも知れない。
昔のように、青い空に浮かぶ白い雲を見ながら、草の原に大の字に寝っ転がって、
胸一杯に空気を吸って、「あー、生きててよかったなー!」って、思うことがあるかも知れない。

あなたのそばに私がいるように、
私のそばにあなたがいる。

私はそんなあなたが大好きだ。

2011年4月29日金曜日

大震災の復興に関する議論は公平・公正・客観的でなければならない

3月11日の東北大震災からもうすぐ50日が過ぎる。
連日のテレビのトップニュースで被害状況、原発の破壊された状況、一進一退のように見てしまいがちだが、しかし、懸命の復旧作業のお陰で確実に事態の収拾の方向へ進んでいる状況、野菜の風評被害、家畜が次第に死んで行く様子、・・・・これらはその被害のほんの一部でしかない。
被災者の声、行政に訴える集会での人々の声、・・・・これらの意見もまたほんの一部でしかない。

我々は、大震災の被害状況はもう何十時間もテレビで見た。
もちろん、被害のほんの一部でしかないが。
しかし、今や、我々の関心事は、そんなことじゃない。
被害状況をさらに詳細に完全に100%知ることではないはずだ。
我々の最大の課題は、この状況を一日も早く復旧、復興させることだ。
被害状況は100%知らなくても、対策は立てられる。
100%状況を把握できてなくても行動は起こせるし、やれることはあるし、第一、しなければならないことはいっぱいあるのだ。いち早い行動が大事だ。
人がケガをしたときなどもそうであるが、まず応急処置を施すことが肝要である。
緊急の手当てがまず必要である。
これらの手当ての中には試行錯誤もあり得る。
しかし、テレビやマスコミはこれらを見てどういう対応をしているだろうか。
我々はどういう反応を示しているだろうか。
まず、批判をしていないだろうか、「あれでは、だめだ。」と。

最近、思う。「テレビはほんとうに事実を的確に公平に公正に伝えているのだろうか。」と。
みなさんはどう思いますか。
視聴者を意識した、視聴率を意識したが正しいかも知れないが、そうしたキャスターのコメント、そのときそのときに取材した側に立ったコメントの出し方が多い。
批判・非難としか思えない批評的コメント、ネガティブなものがほとんどである。
苦情が来ないように、そんなことばかり考えているかのような報道内容。

なぜ、建設的な意見をテレビは言わないのか。
問題を指摘するだけでは人々の不安や怒りを煽るだけである。
ますます不安になり、憤りを感じ、前向きにはなれない。
そんな精神状態じゃ、建設的な議論はできないし、前には進めない。
どのようにすれば問題を解決して行ける可能性があるか、どういう解決方法があるかを提案することに重点をそろそろシフトしてもらいたい。

もう、だめ出しはいいでしょう。感情的な意見ではなく、冷静な建設的な意見を伝えてください。
明日の築き方、どう街造りをして行くか、どんな防災対策がこれからは必要なのか・・・・
そういう問題を解決するにはどういう智慧が必要なのか、そういう事柄について提案をしてほしい。
特に、夜9時台のNHKから始まる、10時台、11時台の1時間枠のニュース番組は、建設的な視点を持ってほしい。

ネットが大きな力を持って来た昨今であるが、テレビはまだまだ世論を誘導している最大のメディアであると思う。
テレビは動きのある映像なので真実そのものに見えやすい。
テレビが導く方向はもっともらしく見え、テレビと逆の意見には抑制の力が働きやすい。
世の中は、右と言う人がいれば、いや左だと言う人がいていいのである。
テレビは、人々を同じ方向に導く。行動も考えかも単一の方向に導いている。
街頭インタビューなどでマイクを向けると人々は、みなどこかで聞いたような、テレビが伝えている言葉を使って同じコメントをする。
そんな街頭インタビューを見ると「ほんとにそう思っているのですか?」って質問したくなる。

こういう世の中になると自由に意見は言いにくくなる。
テレビと同じようなことを言っていれば受け入れられるが、テレビと違う意見を持つと見識を疑われる。
不思議な雰囲気であるように思えてならない。

問題を指摘するだけでは、せいぜい20点だ。解決策を述べてはじめて一人前だ。
50点か70点か、はたまた80点かはその解決策の優劣で決めよう。
これからはそういうところで議論をしましょうよ。

2011年4月3日日曜日

それでも生きてください **明日のために 新しい町を創るために**

3月11日14:46頃発生した「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」による被害は、3週間以上も経過した今も正確につかめないほど甚大である。行方不明者は、今日現在、1万5,000人以上に上る。

この大震災から我々は何を学ぶべきだろうか。

自然の破壊力は、人知を遥かに超えていた。
我々には、どこかおごりがあったりはしなかっただろうか。
いや、我々はベストを尽くしていた。過去の経験と知恵の限りを尽くし、コスト等あらゆることを考慮しぎりぎりのところで自然に向き合っていた。
「まさか、ここまでは、いくらなんでも・・・・」なんて言って。
ふと、「三匹のこぶた」の話を思い出した。


「何をやってんだ!」って、人を責めることはたやすい。
人を責める前に、我々は考えなければならないことがあるのではないだろうか。
何十年後、何百年後にまた同じ不幸に見舞われないために。

マスコミの報道も未だに誰が悪いとか、どこどこの態度が悪いとか、対応がまずいとか、ネガティブなものや批判的なものが多いのは残念だ。いつまでもそんな悪者探しや怒りや憎しみをぶつけるところを探してばかりでは何も解決しない。
政府だ、役人だ、県だ、市だと大声で叫ぶだけでは空しい。
連日のテレビのトップニュースは、東京電力・福島第1原子力発電所の事故の状況だ。原子力安全・保安院の発表と東電からの報告に今、世界中が耳をそばだてている。
「原発は安全なのか、危険なのか」、「人類の手に負えない、とても厄介なものか、破棄すべきものか」、世界中で議論が盛んとなった。

あたふたと対応しているように見える日本政府の姿も問題である。
同情は買うかも知れないが大人には見えない。
外国への正確な情報提供、外国人に対する正確な情報の提供をしてほしい。
日本に住んでいるすべての人への配慮をお願いしたい。
TV局は、重要な情報ついては英語のテロップを流してほしい。
また、ダブルスタンダードの避難説明や野菜等の摂取に関するコメント(「・・・念のため避難してください。・・・念のため食べないでください」)は、混乱を招くだけである。
「(政府からの)指示・勧告は、明快に明瞭に」が鉄則ではないでしょうか。

福島第1原発は、GE、東芝、日立の製造(1号機はGE、2号機はGEと東芝、3号機は日立・・・)で施工はすべて鹿島建設のようだ。世界の最高技術で建設され、国と県の許認可を受けて東電は発電を開始し営業していた。
少し不思議に思うのは、東電と原子力安全・保安院は被告扱いで(ある程度止むを得ないが)、メディアと政府が原告で、これだけじゃどうもメンバーが揃っていない気がする。
TVの解説者もABC大学のXY教授やTV局の専門解説者だけだ。原子炉設計者、原子炉メーカーの人たちも国民に説明して頂けたらいいのではないでしょうか。発注者・購入者だけに責任を押し付けるのではなく、受注者・製造者も加わって説明して頂きたい。もっとも、我々の知らないところでは電力会社と緊密な連絡を取りながら問題解決にあたっておられるとは思いますが。

これじゃ、原発の事故現場で、不眠不休で、ただただ、使命感だけでこの事故と戦っている人たちに申し訳ない。
彼らは我々全員の代表として、我々のために戦っている戦士だ。大切な家族も親兄弟もいるのに。
我々のために今も暗い、劣悪な環境の中で、高い線量の中で頑張ってもらっている。
被ばくを避けるためのあの防護服もマスクもどれほど熱く、具合の悪いものか想像に難くない。
なのに、それなのに、ほうかぶりしている人はいませんか。
すべての人の智慧が要るときです。
知っている人は、表に出て智慧を貸してあげてください。
また、そういう体制を見える形で取ってほしい。
そうすることは国民に安心を与えます。

そして、次の問題は、被災した地域をどう再生するか。
それは再生というよりは再興と言うべきだろう。
もっと言えば、新しい町、安心して生きて行ける街づくりだ。
この大震災で失われた多くの尊い命のために、これからの人たちのために、子供たちのために。

東北の人々の生き方、文化、伝統を生かしながら、農業、商業、漁業、工業を再興する。
「世界に誇る新しい街づくり」、「災害に強い町づくり」、「希望に燃える町づくり」だ。
世界のモデルとなる都市の創造のために今こそ、日本人の英知を結集しよう!
日本人だけじゃない、世界の人々から英知を集めよう!
生きる元気が湧いて来るこの仕事にみんなで結集しよう!

そのために、生きてください。新しい町を創るために。
みんなでやれば、きっと、安全で安心できる素敵な町ができる。世界一の町ができる。
そう思いませんか。

2011年3月24日木曜日

「半減期」とは・・・ 放射性同位元素 ヨウ素131 セシウム ベクレル シーベルト

ヨウ素と言えば、小学校、中学校で理科の実験で、ヨウ素溶液にデンプンを加えると、ヨウ素デンプン反応を起こし藍色になる、「ヨウ素デンプン反応」思い出しますね。

しかし、ヨウ素には、もう一つの顔があります。それは「ヨウ素131」です。理科の実験のときは、「ヨウ素127」ですが。 ※ヨウ素:I 原子番号53 原子量126.9
「ヨウ素131」は、放射性同位元素の1つです。
放射能(放射線を出す能力、程度)を出す物質(元素)を放射性同位元素と言います。
原子は、原子核と電子からできていますが、原子核は陽子と中性子からできています。131とはこの陽子と中性子を合わせた数で、質量数と言います。
この放射能の強さを表す単位がベクレルです。これがどの程度、人体に影響を与えるかの単位は、シーベルトです。

さて、放射性同位元素は不安定なため、放射線を出して安定した原子になろうとします。
ヨウ素131はベータ線(電子線)を出して安定した原子キセノンに変わります。このときの放射線量はヨウ素の量に比例します。多ければ多いほどたくさん出ます。 ※ヨウ素:I キセノン:Xe
こうして、ヨウ素131は放射線(ベータ線)を出しながら安定なキセノンという元素に変わって行き、もとのヨウ素はどんどん減って行きます。
ヨウ素131を食品と一緒に摂取した場合、ヨウ素は甲状腺ホルモンの必須材料で、このヨウ素が甲状腺に集まります。そして、このとき、このヨウ素131の崩壊によって出るベータ線によって甲状腺が被曝し甲状腺がんになるという大きな問題が起こります。
10,000ベクレルを経口摂取した時の実効線量は0.22ミリシーベルトに相当します。

しかし、このヨウ素131は、8日間で半分壊れて半分になります。そしてもう8日経つとさらに半分になります。すなわち、もとの半分の半分、4分の1になります。こうしてどんどん減って行き、やがてゼロになりますが、この半分になる時間のことを「半減期」と言います。
今、問題となっているもう一つの元素セシウムCsの半減期は30年です。
この半減期という言葉は、お薬などの他の分野でも使います。
短いものは、1秒もないものもありますが反対に長いものでは、ルビジウム(Rb87)は、475億年も経たないと半分にはなりません。

半減期を利用して年代を知ることができます。さきほどの岩石に含まれる天然の放射性同位元素「ルビジウム87」は475億年かけて、その半分がストロンチウムに変わります。岩石中のルビジウムとストロンチウムの比率は時間とともに変わります。この比率を測定して年代が計算することができます。

テレビ、マスコミでさまざまな情報が流れます。情報は正確につかんで正しく理解するようにしましょう。無用な不安を避けるためには、できるだけ自分自身で調べて確認するようにするといいと思います。

2011年3月21日月曜日

ベクレル(Bq)とシーベルト(sV)の換算

「福島第一・第二原子力発電所の事故に伴う水道の対応について」、平成23年3月19日付けで、厚生労働省健康局水道課長より、各都道府県水道行政担当部(局)長宛てに地方自治法に基づき、通知がなされました。
その中に、国際放射線防護委員会(ICRP)により示されている換算部分を抜粋し、その一部を説明的に改訂して示すことにします。
飲料水に関する摂取制限の指標値は、このブログでも示しましたが、上述の通知にも記載があるので転載します。

(参考1)原子力安全委員会が定めた飲食物制限に関する指標値
放射性ヨウ素(飲料水) 300Bq(ベクレル)/kg
放射性セシウム(飲料水) 200Bq/kg

(参考2)「飲食物摂取制限に関する指標」の考え方
原子力安全委員会により、ICRPが勧告した放射線防護の基準(放射線セシウムは実効線量5ミリシーベルト/年、放射線ヨウ素は実効線量50ミリシーベルト/年)を基に、我が国の食品の摂取量等を考慮して食品のカテゴリー毎(飲料水、食品等)に定められている。

(参考3)放射能等の強さを示す単位について
放射能とは、放射線(エックス線等)を出す能力のことを言う。「飲食物摂取制限に関する指標」に示す単位Bq(ベクレル)は放射能の強さを計る単位であり、単位時間内に原子核が崩壊する数を表している。1ベクレルは、1秒間に1個の原子核が崩壊して放射線を出す放射能の強さのことを言う。一方、人間が放射線を浴びた時の影響度を示す単位として、Sv(シーベルト)がある。

■ Bq(ベクレル)とSv(シーベルト)は以下のように換算できる。
(例1) 200Bqの放射性セシウム137が検出された飲み水を1kg飲んだ場合の人体への影響は、
200×1.3×10E5(※)200×1.3÷100,0000.0026mSv(ミリシーベルト)2.6マイクロシーベルト
となる。
 () 1ミリシーベルト=Sv1/1,0001,000マイクロシーベルト(μsV)
(例2) 300Bqの放射性ヨウ素131が検出された飲み水を1kg飲んだ場合の人体への影響は、
300×2.2×10E5(※)=300×2,.2÷100,000=0.0066mSv6.6マイクロシーベルト
となる。
※ 実効線量係数(経口):放射能の単位であるベクレルから生態影響の単位であるシーベルトに換算する係数。核種、化学形、摂取経路により放射線障害防止法などで規定。


【出典】福島第一・第二原子力発電所の事故に伴う水道の対応について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014tr1-img/2r98520000015k18.pdf

食品中の放射能と摂取制限   「安全な食の確保のために」

緊急時における食品の放射能測定マニュアル

 以下は、平成14年3月に、厚生労働省医薬局食品保健部監視安全課より「食品の放射能測定マニュアル」として発表された資料からの抜粋である。
 この資料の冒頭に「はじめに」として、目的・趣旨が次のように述べられている。

「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」(以下「本マニュアル」という)は、平成12年度厚生科学研究費補助金特別研究事業(H12-特別-047)「原子力施設の事故等緊急時における食品中の放射能の測定と安全性評価に関する研究」(主任研究者:出雲義郎)報告書に基づいて農畜水産食品の放射能汚染に関する食品衛生上の問題を検討するための環境試料である葉菜、原乳及び農畜水産物における放射能の分析方法についてとりまとめたものである。
原子力施設等に放射性物質や放射線の異常な放出がある場合又はそのおそれがある場合には、「災害対策基本法」(昭和36年法律第223号)及び「原子力災害対策特別措置法」(平成11年法律第156号。平成12年6月施行。以下「原災法」と略す。)に基づき、国、地方公共団体及び原子力事業者は、それぞれの防災計画に従い所要の防護対策を講ずることになっている。

この防災対策の一環として、「原子力施設等の防災対策について」(原子力安全委員会、平成12年5月一部改訂。以下「防災指針」と略す。)及び「防災指針」に基づく「緊急時環境放射線モニタリング指針」(原子力安全委員会、平成12年8月一部改訂。以下「緊急時モニタリング指針」と略す。)等により、周辺環境の放射性物質又は放射線に関するモニタリングが実施される。この緊急時モニタリング指針は、緊急事態発生時に、迅速に行う第1段階のモニタリングと周辺環境に対する全般的影響を評価する第2段階のモニタリングから成っている。各段階の測定項目には、いずれも空間放射線量率、大気中の放射性物質濃度のほかに、環境試料として飲料水、葉菜、原乳、雨水、土壌、植物、農畜産物、源水及び魚介類が対象になっている。

本マニュアルは、食品に対する原子力関連テロ時や原子力施設の事故等において、食品の安全を確認する際に参考となるものであり、第1章基本的な考え方、第2章 食品中の放射能の各種分析法、参考として緊急時モニタリング計画における食品の放射能測定・分析、被ばく線量等の推定と評価及び解説から構成されている。(以上は、原文をそのまま転載)

 この資料には、放射能測定のためのさまざまな注意点、要領などが記載されているが、その部分は割愛し、摂取制限指標について以下に記すことにする。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r98520000015cfn.pdf

■ 飲食物摂取制限に関する指標
飲料水、葉菜、原乳、雨水、土壌、植物、農畜産物、源水及び魚介類の摂取制限に関する指標は、この資料の別表3に示されており、その内容は、以下の通りである。

「別表3 飲食物摂取制限に関する指標」から


【補足】
 Bqとは、ベクレルと読み、ある放射性物質が放射線を出す能力、すわなち、放射能の強さを表す単位。毎秒1個崩壊すると1ベクレルである。崩壊する原子数を数えて、1秒間にどれだけの放射線を出すかを把握する。一方、シーベルトという単位は、放射線が人体に与える影響を示す放射線量の単位である。人体への影響は放射線を出す放射性物質の種類によって異なる。
 なお、表中の制限に関する指標は、10の何乗という形で表現されていたのが、10であれば通常の表記の100とした。これらは、原文の表と異なる。

■対 象 放射性ヨウ素(混合核種の代表:131I
飲料水         300 Bq/kg 以上
牛乳・乳製品      300 Bq/kg 以上

野菜類        2,000 Bq/kg 以上
(根菜、芋類を除く)

■対 象 放射性セシウム
飲料水          200 Bq/kg 以上
牛乳・乳製品      200 Bq/kg 以上

野菜類          500Bq/kg 以上
穀類             500Bq/kg 以上
肉・卵・魚・その他   500 穀類 Bq/kg 以上

■対 象 プルトニウム及び超ウラン元素のアルファ核種
238Pu239Pu240Pu242Pu241Am242Cm243Cm244Cm の放射能濃度の合計)
飲料水                    Bq/kg 以上
牛乳・乳製品            Bq/kg 以上

野菜類                 10 Bq/kg 以上
穀類                    10 Bq/kg 以上
肉・卵・魚・その他    10 Bq/kg 以上

■対 象 ウラン
飲料水         20 Bq/kg 以上
牛乳・乳製品     20 Bq/kg 以上

野菜類        100Bq/kg 以上
穀類          100Bq/kg 以上
肉・卵・魚・その他  100Bq/kg 以上

(出典:「原子力施設等の防災対策について」)