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2013年10月20日日曜日

平成25年秋の川越祭り

平成25年秋の川越祭りは、10月19日(土)、20日(日)だった。
日曜日はあいにくの雨となった。

私は、祭りを早く見に行こうというはやる気持ちをぐっと抑えて、土曜日の昼過ぎから散歩に出かけ、いつものように川越市街を抜け郊外へ出て入間川沿いを歩いた。
入間川の水量は、台風26号の影響でいつもよりは勢いよく流れていたが、まだ少し濁っていた。
入間川の両岸にはサイクリングロードが整備されていて散歩には歩きやすい道だ。ときどき、道から外れて川岸に下りたりしながら、ぶらぶらと歩く。
季節の移ろいを風の流れや草花に感じられ、自然と自分一人の世界に包まれる。街の騒音も聞こえて来ない。
聞こえて来るのは、水の流れる音、風の音、鳥の声、遠くを走る電車の音。
音楽やラジオを聴きながら、歩くことも多い。








途中、以前にもこのブログで書いたことのある「かわごえはし」に来た。もうすっかり秋の雰囲気に包まれていた。この橋のたもとには百人一首が描かれている。

枯れかけた夏の草が一層、秋を感じさせた。
一人の70代と思える男性が自転車から降りて、写真を撮っていた私に話しかけて来た。
「私は、このあたりからずっと向こうの山並みを見るのが好きなんです。綺麗ですよね。」とその男性。
「えぇ、そうですね。」と今日は曇りで見えないが晴れた日には遠くに富士山を望むことができることを思い出しながら、相槌を打った。
男性は、自転車を立て掛けて私のそばに近寄って来て、
「これは何ですか。」
「和歌です。百人一首ですね。洒落てますよね。この橋はこの入間川にかかっている橋の中では珍しい橋で、橋の欄干にもレリーフが何枚もあって、川越祭りのものもあるんですよ。」
「そうですか、今まであんまり注意して見たことがなかったなぁ。」

しばらく、その男性は私と話し、「じゃ、また。今日はいいものを見た。じゃ。」と自転車に乗って行った。
「じゃ、お元気で。」












3時間ほど歩いて、再び川越の市街に戻った。祭りの行われる中心部は交通規制も行われていた。すでに山車も出ていて交差点には4台もの山車が絡み合っていた。












4時前から小雨が降り出した。歩行者天国となった道路は人があふれ、なかなか思うようには進めない。露店は、その数を知らず。どの通りを見ても露店がずらり。食欲をそそる匂いだ。
この後、雨は日曜日の夜まで続き、珍しく雨の川越祭りとなった。

夜の川越祭りは、ほんとに綺麗だ。








2013年9月8日日曜日

Olympic games Tokyo 2020 招致決定 おめでとう!

2020年 東京オリンピック 招致が今朝決定した。
前夜からずっとテレビに釘付けだった。マドリッドか東京か、はたまたイスタンブールか、やきもきした。世界中がIOCの決定を待った。

日本チームのプレゼンテーションは、投票権をもつ委員の心をつかむことができるか、心を動かすことができるか。イスタンブールのプレゼンの出来はどうか、マドリッドはと・・・
福島第1原発の汚染水漏れの影響はどれくらいマイナスになるか、心配はつきない。

日本チームのプレゼンは、最高だった。おそらく、100点満点だろう。もう一回繰り返してもあれ以上の出来は難しいと思える出来だった。
素晴らしかった。感動した。ビジュアルもよかった。日本中が感動した。

一回目の投票では、東京40票、イスタンブール26票、マドリッド26票。
いずれの都市も過半数には達しなかった。
最終的に東京60票、イスタンブール36票、東京は経済力、安全性、安定性などで高く評価されたようだ。
敗れたイスタンブール、マドリッドには申し訳ない気もする。
これらの都市のためにも東京は、日本は頑張って「東京、ありがとう!」と言われるようなオリンピックを目指さなければならない。

7年後の2020年のオリンピックに向けて、日本は大きく前進するだろう。
経済効果もさることながら、人々の精神的高揚効果は計り知れない。
これで景気はきっとよくなる。
20年も待った久々の明るいニュースだ。
「明るい目標」を持てたことは、大きい。すべての人々に明日に向かって生きる力を与えてくれた。

日本を訪れる海外からの旅行者に、日本の心を届けよう!
「おもてなし」(滝川クリステルさんがプレゼンテーションで言った)の心で迎えよう!

2020年7月オリンピックをみんなで観よう!

そのときまでに、東北の大震災からも、長い不況からも脱出しよう!
そのときまで、そのときまでは・・・
そのときは、2020年7月24日から8月9日!


2013年6月1日土曜日

娘の結婚式と旅立ち

世の娘をお持ちのお父さん、お元気ですか。
娘をすでに嫁に出したお父さん、これから嫁に出すお父さん、嫁に出したばかりのお父さん。
私の娘は、先週の土曜日に都内のホテルで挙式しました。
この1ヶ月、突然、胸にぐっと寂しさが襲って来て、涙ポロポロ。お風呂に入った時など、思わず声を出して泣きたくなるくらいに。お風呂は、涙が出ても顔をすぐに洗えるので、自分の心の動くままにできた。
ここ2、3か月は特に仕事も忙しくて日中は、考える暇もなく随分と助かった。もし、仕事が暇だったら、仕事中もブルーな気分でいたかも知れない。

思えば、娘がまだ2つくらいのときから、「いずれ、嫁に行くんだなあ・・・」と思いながら、お風呂に入れていた。
去年、その時は来た。
「お父さん、〇月〇日とか空いてる。仕事、忙しい?」
「うん?! 何?」
「ちょっと会ってほしい人がいる。」
「あーっ、そう。彼氏か!? いいよ。わかった。」
もう、精一杯の笑顔を元気な声で返事。

彼氏(今は、娘の夫となった)とは、それから2週間後くらいに池袋のデパートの前で待ち合わせして会うことにした。
待たせてはいけないと思い、いつもの待ち合わせより少し早目の10分前に行くことにした。
だけど、足はどんどん速くなり、30分も前に約束の場所に着いた。
そこは、ちょうどタバコが吸える場所がある。1本、2本、3本、・・・・完全なるチェーンスモーク。
傍から見ると、相当のヘビースモーカーに見えたことだろう。
頭の中は、どんな彼氏が登場して来るか、通りを行き交う若い男性を見ては、「こんな感じかな?! こんな感じは好きじゃないだろう、違うなあ。こっちの彼の感じかな??」
想像はどんどんふくらむが定まらない。十人十色というくらいだから、元々想像すること自体が意味がないのだが。
そして、娘の声。「お父さん!」
隣に優しそうな好青年が。(いやいや、ここは冷静に冷静に。)
冷静にと思ったが、冷静になんかなれない。お父さんの声は、いつもよりハイトーン。
(とにかく、余計なことや感じ悪いことは言わないように気を付けよう、言い聞かせた。)
娘たちが予約していた少し落ち着きのある居酒屋風の店に。
「よろしくお願いします。仲良く、喧嘩するなよ。」と私。
「あー、よかった。」と娘。

挙式後、二日後の月曜日には彼氏は一足先にこの5月から海外出張先となったタイに。
今日、娘は彼のいるバンコクに立った。
娘にとっても私のとっても、一生忘れることはできないだろう。
<2013年6月1日 成田空港77番スポット JAL717便 11:00定刻出発 11:25離陸>
幸せになってほしい。
飛び立って行く飛行機に心からの想いをこめて願いを送った。

「幸」って、いう字を2本の線で囲むと「南」という字になる。
南は幸せの方向だ。
少しだけ、話を脱線すると、「指南」という言葉があるが、南を示すということで南がどの方角かを示すことは、その昔、極めて重要な仕事であった。その職の人を「指南者」といい、その人が引く車を「指南車」といった。

「これで、いいんだ。娘は幸せに向かって、南を目指したのだ。」
それは、単に方角というだけでなく、娘が信じる「南」なのだ。
世界一の嫁になれ!

世のお父さん!
我々は、なぜか娘が旅立つとき、言い知れぬ寂しさ、喪失感を味わう。
それは男の持つ遺伝子がそう思わるのかも知れない。
その理由は、よくわからないが、
共にそれぞれの娘の幸多きことを祈ろう!
あなたのお嬢さんの幸せを私も祈る。
これからの彼らの時代が穏やかで平和であることを共に祈ろう!

世のお父さんたちに、
娘たちに、
旅立つ若いカップルに、
そして、お父さん、あなた自身にも、
乾杯しよう!


「乾杯!」




2013年1月14日月曜日

2013年の成人式は大雪だ!

2013年も半月過ぎましたね。今日は成人式の日。私の知り合いのご子息も今日は成人式で朝から準備で大忙し。
折りしも、この大雪でどうやって会場まで行くか、あれこれと算段、思案とか。

今朝9時ごろから、川越は雪が舞始め1時間もすると街は薄化粧。
今は、昼の1時半。道路も家々の屋根も駐車場も真っ白になりました。
雪国の人にとっては、雪は有り難くない空からの訪問者でしょう。
雪のほとんど降らないところで生活している者にとっては、「明日は電車が遅れるかなあ・・・」とか心配しながらも、何だかロマンチックな雰囲気になってしまいます。

2013年は、日本にとって重要なターニングポイントとなるでしょうね。政府も我々も一体となり、国民一人ひとり、真剣にこれからの日本のことに関心を持ち、自分のためだけではなく、自分以外の他の人に関心を持って生きて行きたいものです。

『強い日本、元気な日本人』を取り戻しましょう!