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2011年6月25日土曜日

埼玉県川越市郊外の散歩は、自然あり、歴史あり、花あり


 「散歩は好きですか?」 って尋ねられたら、 あなたは何と答えますか。
「散歩は誰かと一緒ですか? それとも一人ですか?」
部屋でずっとパソコンで文書を作成していたりすると外の空気を吸いたくなって、散歩に出かける。悩み事があるとき、気分がとても落ち込むとき、ウォーキングシューズに履き換え散歩に出かける。
深い悲しみやどうすることもできない辛さに、夜道を散歩すこともあろう。
人生の岐路に立たされたとき、その結論を求めて歩きながら考えることもあろう。
家の中で悶々と思い悩むよりずっといい考えに到達できる。

散歩は、ときに人生の甘露である。

1999年の年明けに生後1ヶ月のゴールデンレトリーバーが来た。名前は「マリー」、マリーさんは散歩がとても好きだった。「サンポ」という音に敏感に反応した。「散歩」というと寝ていても急に頭を持ち上げ耳をピンとさせ、「えっ、散歩行くの?」って言う。ときどき、マリーさんをからかって、「一歩、二歩」って紛らわしいことを言うと頭をかしげて、一生懸命聞いた。「散歩、行く?」 「うん、行く!」ってむっくと立ち上がり、リードをくわえて来た。
その頃は、埼玉県の蓮田市に住んでいたので蓮田の街をあちこち行った。そのうち、子供達が大きくなり、通学の問題から杉並区の善福寺に引っ越した。蓮田と違って交通量が多いのでマリーさんと並んで道路を歩くのは結構大変だった。

マリーさんは、私によくこう言った、「散歩、楽しいね。楽しい? 私は散歩、大好き!」って。
しかし、2007年に年が改まって急にマリーさんは身体の調子が悪いと言い出した。
そう言えば、その前の年の春か夏ごろに、散歩の途中でよく「もう、帰ろう!」と言って私を見ながら立ち止った。
江東区にある動物病院に緊急入院した。肝臓がんと心臓に血管腫ができていた。ICUに入って大手術をした。しかし、ICUに入ったまま容体はよくならなかった。結局、先生から家に連れて帰ってあげた方がいいしょうと言われ、家に連れて帰った。家に戻って一瞬嬉しそうにしたがもう嬉しさを表現する元気はマリーさんにはなかった。
二日後、家族みんなに見守られて「風」になってしまった。
2007年2月7日のことだった。
みんな、それぞれに泣いた。そう、今でも思い出すとマリーさんの楽しそうな顔を思い出す。

散歩には思い出もある。人は思い出を整理しながら、新しい思い出も次々と創り出して行く。
楽しい幸せな思い出、悲しくて辛い思い出・・・・・

埼玉県川越市を流れる入間川に沿って、川越市水上公園がある。花菖蒲が池のほとりにたくさん咲いていた。

白い花菖蒲も綺麗だ。紫色のものしかないと思っていたが、色いのもあるんですね。
 水上公園は、川越市街の西に位置し、町の中心からは外れている。
ここから、東に歩き町の北東部に川越城本丸がある。

                     大きな古木のそばにアジサイが綺麗に咲いていた。 
 
今日はその後、さらに北に向かって歩いた。再び入間川に出た。落合橋のたもとに着いた。それからは川の土手に沿って南下した。川について言えばさかのぼることになるが、南下である。途中、草花に出会った。  









田んぼの稲も株分けが進み、緑も濃くなり随分成長していた。 

2011年6月12日日曜日

あれから3ヶ月 そんなに経ったとはとても思えないけど・・・

「3月11日午後2時46分 東北地方を中心に大きな揺れを感じました。津波に警戒してください。・・・」 あれから3ヶ月が経った。とても3ヶ月もたったとは思えない。

毎日、毎日地震による被災状況と福島第1原発事故のニュース、関連の特別番組・・・
テレビを見ていて、ラジオを聞いていて、あまりの衝撃的悲しみ、辛さに何度涙を流したことだろう。
身につまされる辛さに私の心は自動的に共鳴し、瞬間的に悲しみと涙が襲って来た。
きっと日本中の人が、いや世界中の人がこんな経験をしていることだろう。
親を探す子供、子供の生存を信じて今も探す両親、見つけ出すまでは何も手につかないと言う。
地震は人々の人生を大きく変えた。

このブログを書き始めて、まもなくあの地震が起きた。
私のブログは自然に地震関連の内容になって行った。
そのうち、何を書いたらいいのか分からなくなった、何を書いても何も解決できないもどかしさに書けなくなった。
こんなブログでも見てくれている人がいて、「最近書いていませんね。」と言われた。
今日、3ヶ月経った一つの節目なので、それを理由に、それをきっかけに書いています。

1ヶ月以上も休んでしまったのは、こういう訳だったのです。もっとも理由らしいことは何も言わず、こういう訳だったのですと言われても理解できないでしょうが。
一言でいうと疲れたのです。
被災した人は、我々のような非被災者とは比べようのない辛苦、苦痛、困難、ストレスを感じて来られたことでしょう。
我々非被災者も少し疲れています。
気持ちだけは一生懸命なのだと思うのです、自己分析すると。
被災地は絶望的被害、いったい復興できるのかと疑いたくなるような風景。
だけど、だけど、必ず復興できる、復興するのは間違いことですよね。
焦らないことにしましょう。これは提案です。
急ぐけど、焦らないことにしましょう。
そう考えれば、少し精神的に楽になるかも知れません。

瓦礫だって、1年分とか何年分とかですから、たいがいの量じゃない。
2、3ヶ月で片づけられるようなそんな量じゃないですから、ここは焦らないで片付けて行きましょう。
瓦礫っていう言葉も嫌な言葉ですね。
あの地震までは家族の団欒、幸せを育んでくれた家や会社。
それが地震と津波で粉々に壊れてあんな風に・・・
粉々になってしまった、無残な姿に変わり果てた幸せのかけら・・・

壊れた事実にはもう振り返らないで、作り直すしかないですね。
悔しいけど壊れたものは諦めて、新しく一つずつ一つずつ作り直しましょう。
とっても辛くて悲しいけど、今、目の前にあることを片付けて行くことが明日につながると信じて・・・

いつかあの大地に人々の笑顔と楽しい声が聞こえて来る日を。
いつかあのふるさとに花をいっぱい咲かせましょう。