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2011年9月18日日曜日

風を感じ、陽の光を感じ、季節の移り変わりを感じ、時の流れを感じる


今日はとてもいい天気だった。空が少し高くなって空気も少し澄んできた。

埼玉県の川越の街並みを抜けると田園風景が広がる。稲の穂はすっかり稔り、頭を垂れる。「実るほど首を垂れる・・・」と小学校時代に何度も何度も教えられたことを思い出す。
すでに刈り取られた田んぼも多い。刈り取られたばかりの田んぼの縁を歩くとあの独特のわらのいい匂いがする。もみ殻を焼いているところもあった。
みんなみんな秋の匂いだ。

今日は昼の2時半から夕方の6時半まで歩いた。
30度を超す暑さの中、歩き始めた。
朝食は摂ったがダイエットのため昼食は抜いていたので、歩き始めて30分もしないうちに暑さのせいもあって調子が悪くなってきた。コンビニに寄りおにぎりとレモン入りの水を買った。生き返る思い、おにぎりはこんなに美味しいかと思うほど美味しかった。食べて20分くらいしたころからエネルギーが戻って来た。血中の糖分濃度上昇だ。すっかり元気になった。




首には出かける前に水でぬらしたハンドタオルを巻いて、iPodで音楽を聴きながらどんどんと歩く。
颯爽(さっそう)と歩く。
今日の歩いた距離は、18.7km。マラソンの選手は42.195kmで私の歩いた距離などその半分にも満たないが、実際歩くとわかるがかなりきついです。私と同じようにウォーキングしている人に何人も出会う。こっちが挨拶すると相手も笑顔になって挨拶する。気持ちい瞬間だ。山登りや高原などを歩くとき、すれ違う人にお互いに挨拶する。あれと同じ。「挨拶」には人を気持ちよくさせる何かがある。
途中、川の土手を歩く。舗装されていて歩きやすい。もちろん、シューズはエアの入ったウォーキング用のものを使用している。足首にも負担がかかるのでちゃんと吟味したいいものがいい。

土手を歩くとき、ときどき、後ろ向きに歩く。長く歩くとき、ときどきこれをやると使う筋肉が違うので楽になる。
後ろ向きに歩くと普通では見えない自分の歩いた跡が見える。景色がどんどん遠のいて行くその風景が見える。前に向かって歩いているときに景色が後ろに消えて行く速さよりも、後ろ向きであるいているときに遠のく景色の方がずっと速く感じる。
歩いた跡、歩いた道が見ながら歩くと時間が過ぎていることがよくわかる。
遠のいた距離は時間が経過したことを表している。人生が確実に過ぎていることを実感できる。
今まで一体どれだけの人生をこうして歩いて来たんだろうと思った。
そして、自分は一体どこに向かって歩いているのだろうと思った。
「後ろ向きになって歩く」、みなさんももし機会あったらやってみてください。ただし、後ろ向きでも安全なところでやってくださいね。

長い長い川の土手をずっと歩いていると、
風の流れを感じる、太陽の光が飛んで来るのを感じる、季節の移り変わりを感じる、虫の鳴き声が聞こえる、草木の話声が聞こえる。
「時が過ぎて往く」のが突然よくわかる。そう、突然、我々は果てしない宇宙の中のこの地球に今、生きているんだと知らされる。
時の流れを感じることは、この往きつく先には「死」があることにつながり、一種の焦りにも似た感覚になるが、風の流れを体に受けたとき心地いいように、思わず両手を広げたくなるような快さを感じるのである。
「動く」ことから来る快感なのだろう。

時は今も流れている。何かに向かって。きっと何かに向かっている筈だ。そう思いませんか。






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