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2011年4月29日金曜日

大震災の復興に関する議論は公平・公正・客観的でなければならない

3月11日の東北大震災からもうすぐ50日が過ぎる。
連日のテレビのトップニュースで被害状況、原発の破壊された状況、一進一退のように見てしまいがちだが、しかし、懸命の復旧作業のお陰で確実に事態の収拾の方向へ進んでいる状況、野菜の風評被害、家畜が次第に死んで行く様子、・・・・これらはその被害のほんの一部でしかない。
被災者の声、行政に訴える集会での人々の声、・・・・これらの意見もまたほんの一部でしかない。

我々は、大震災の被害状況はもう何十時間もテレビで見た。
もちろん、被害のほんの一部でしかないが。
しかし、今や、我々の関心事は、そんなことじゃない。
被害状況をさらに詳細に完全に100%知ることではないはずだ。
我々の最大の課題は、この状況を一日も早く復旧、復興させることだ。
被害状況は100%知らなくても、対策は立てられる。
100%状況を把握できてなくても行動は起こせるし、やれることはあるし、第一、しなければならないことはいっぱいあるのだ。いち早い行動が大事だ。
人がケガをしたときなどもそうであるが、まず応急処置を施すことが肝要である。
緊急の手当てがまず必要である。
これらの手当ての中には試行錯誤もあり得る。
しかし、テレビやマスコミはこれらを見てどういう対応をしているだろうか。
我々はどういう反応を示しているだろうか。
まず、批判をしていないだろうか、「あれでは、だめだ。」と。

最近、思う。「テレビはほんとうに事実を的確に公平に公正に伝えているのだろうか。」と。
みなさんはどう思いますか。
視聴者を意識した、視聴率を意識したが正しいかも知れないが、そうしたキャスターのコメント、そのときそのときに取材した側に立ったコメントの出し方が多い。
批判・非難としか思えない批評的コメント、ネガティブなものがほとんどである。
苦情が来ないように、そんなことばかり考えているかのような報道内容。

なぜ、建設的な意見をテレビは言わないのか。
問題を指摘するだけでは人々の不安や怒りを煽るだけである。
ますます不安になり、憤りを感じ、前向きにはなれない。
そんな精神状態じゃ、建設的な議論はできないし、前には進めない。
どのようにすれば問題を解決して行ける可能性があるか、どういう解決方法があるかを提案することに重点をそろそろシフトしてもらいたい。

もう、だめ出しはいいでしょう。感情的な意見ではなく、冷静な建設的な意見を伝えてください。
明日の築き方、どう街造りをして行くか、どんな防災対策がこれからは必要なのか・・・・
そういう問題を解決するにはどういう智慧が必要なのか、そういう事柄について提案をしてほしい。
特に、夜9時台のNHKから始まる、10時台、11時台の1時間枠のニュース番組は、建設的な視点を持ってほしい。

ネットが大きな力を持って来た昨今であるが、テレビはまだまだ世論を誘導している最大のメディアであると思う。
テレビは動きのある映像なので真実そのものに見えやすい。
テレビが導く方向はもっともらしく見え、テレビと逆の意見には抑制の力が働きやすい。
世の中は、右と言う人がいれば、いや左だと言う人がいていいのである。
テレビは、人々を同じ方向に導く。行動も考えかも単一の方向に導いている。
街頭インタビューなどでマイクを向けると人々は、みなどこかで聞いたような、テレビが伝えている言葉を使って同じコメントをする。
そんな街頭インタビューを見ると「ほんとにそう思っているのですか?」って質問したくなる。

こういう世の中になると自由に意見は言いにくくなる。
テレビと同じようなことを言っていれば受け入れられるが、テレビと違う意見を持つと見識を疑われる。
不思議な雰囲気であるように思えてならない。

問題を指摘するだけでは、せいぜい20点だ。解決策を述べてはじめて一人前だ。
50点か70点か、はたまた80点かはその解決策の優劣で決めよう。
これからはそういうところで議論をしましょうよ。

2011年4月3日日曜日

それでも生きてください **明日のために 新しい町を創るために**

3月11日14:46頃発生した「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」による被害は、3週間以上も経過した今も正確につかめないほど甚大である。行方不明者は、今日現在、1万5,000人以上に上る。

この大震災から我々は何を学ぶべきだろうか。

自然の破壊力は、人知を遥かに超えていた。
我々には、どこかおごりがあったりはしなかっただろうか。
いや、我々はベストを尽くしていた。過去の経験と知恵の限りを尽くし、コスト等あらゆることを考慮しぎりぎりのところで自然に向き合っていた。
「まさか、ここまでは、いくらなんでも・・・・」なんて言って。
ふと、「三匹のこぶた」の話を思い出した。


「何をやってんだ!」って、人を責めることはたやすい。
人を責める前に、我々は考えなければならないことがあるのではないだろうか。
何十年後、何百年後にまた同じ不幸に見舞われないために。

マスコミの報道も未だに誰が悪いとか、どこどこの態度が悪いとか、対応がまずいとか、ネガティブなものや批判的なものが多いのは残念だ。いつまでもそんな悪者探しや怒りや憎しみをぶつけるところを探してばかりでは何も解決しない。
政府だ、役人だ、県だ、市だと大声で叫ぶだけでは空しい。
連日のテレビのトップニュースは、東京電力・福島第1原子力発電所の事故の状況だ。原子力安全・保安院の発表と東電からの報告に今、世界中が耳をそばだてている。
「原発は安全なのか、危険なのか」、「人類の手に負えない、とても厄介なものか、破棄すべきものか」、世界中で議論が盛んとなった。

あたふたと対応しているように見える日本政府の姿も問題である。
同情は買うかも知れないが大人には見えない。
外国への正確な情報提供、外国人に対する正確な情報の提供をしてほしい。
日本に住んでいるすべての人への配慮をお願いしたい。
TV局は、重要な情報ついては英語のテロップを流してほしい。
また、ダブルスタンダードの避難説明や野菜等の摂取に関するコメント(「・・・念のため避難してください。・・・念のため食べないでください」)は、混乱を招くだけである。
「(政府からの)指示・勧告は、明快に明瞭に」が鉄則ではないでしょうか。

福島第1原発は、GE、東芝、日立の製造(1号機はGE、2号機はGEと東芝、3号機は日立・・・)で施工はすべて鹿島建設のようだ。世界の最高技術で建設され、国と県の許認可を受けて東電は発電を開始し営業していた。
少し不思議に思うのは、東電と原子力安全・保安院は被告扱いで(ある程度止むを得ないが)、メディアと政府が原告で、これだけじゃどうもメンバーが揃っていない気がする。
TVの解説者もABC大学のXY教授やTV局の専門解説者だけだ。原子炉設計者、原子炉メーカーの人たちも国民に説明して頂けたらいいのではないでしょうか。発注者・購入者だけに責任を押し付けるのではなく、受注者・製造者も加わって説明して頂きたい。もっとも、我々の知らないところでは電力会社と緊密な連絡を取りながら問題解決にあたっておられるとは思いますが。

これじゃ、原発の事故現場で、不眠不休で、ただただ、使命感だけでこの事故と戦っている人たちに申し訳ない。
彼らは我々全員の代表として、我々のために戦っている戦士だ。大切な家族も親兄弟もいるのに。
我々のために今も暗い、劣悪な環境の中で、高い線量の中で頑張ってもらっている。
被ばくを避けるためのあの防護服もマスクもどれほど熱く、具合の悪いものか想像に難くない。
なのに、それなのに、ほうかぶりしている人はいませんか。
すべての人の智慧が要るときです。
知っている人は、表に出て智慧を貸してあげてください。
また、そういう体制を見える形で取ってほしい。
そうすることは国民に安心を与えます。

そして、次の問題は、被災した地域をどう再生するか。
それは再生というよりは再興と言うべきだろう。
もっと言えば、新しい町、安心して生きて行ける街づくりだ。
この大震災で失われた多くの尊い命のために、これからの人たちのために、子供たちのために。

東北の人々の生き方、文化、伝統を生かしながら、農業、商業、漁業、工業を再興する。
「世界に誇る新しい街づくり」、「災害に強い町づくり」、「希望に燃える町づくり」だ。
世界のモデルとなる都市の創造のために今こそ、日本人の英知を結集しよう!
日本人だけじゃない、世界の人々から英知を集めよう!
生きる元気が湧いて来るこの仕事にみんなで結集しよう!

そのために、生きてください。新しい町を創るために。
みんなでやれば、きっと、安全で安心できる素敵な町ができる。世界一の町ができる。
そう思いませんか。