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2020年4月11日土曜日

みなさん、お元気ですか

みなさん、お元気ですか。
長い間、このブログに何も投稿しないでいました。
日々、思うこと、考えることなどいろいろありましたが、ブログに投稿するのは適当でないと思うこともあり、ずっと休眠状態にしていました。
みなさんと一緒に考えたいことや、みなさんはどう思っていますか?と聞いてみたいこともたくさんありました。
一方でYouTubeなどの利用が一般的になりました。TVをほとんど見なくなり、新聞を読まなくなりました。
みなさんもそうではないですか。情報はほとんどネットからで、海外のニュースサイトを重要な事柄によっては10箇所くらいで見ています。海外のサイトも癖や偏りがあるので、できるだけ偏りの少ないサイトを選ぶようにしますが、その偏りを承知で、角度を変えるとどう見えるのかを見たりします。
日本のマスメディアは偏向していて興味がなくなりました。本当のことを伝えないし、伝えるべきもっと重要なニュースがあるときでも日本では全く報道されません。海外とは相当違います。
それに日本のマスメディアは、日本を愛しているのでしょうかねえ。
自分の国である日本をもっと大事にしてほしいと思いませんか。

このブログでは、人の心の深いところでの話や考え方、思いを考えたいと思っていましたが、今のところ、それはできていません。

4月9日新型コロナウイルスの感染拡大で、「緊急事態宣言」が出ましたね。
こんなことが起こる時代に我々は今、こうして生きています。
この新型コロナウイルスについてもお話したいことも沢山ありますが、やはり適当でない気がするのです。
理由はお分かりだと思います。

「新しい時代」が近いのかも知れませんね。
そんな気がします。

話は全く変わりますが、このブログを休んでいる間、ピアノ始めました。
弾くのは映画音楽が多いです。いつか、ジャズピアノがうまくなりたいんですけどね。
ピアノは、いいですね。

では、また、近いうちにお会いしましょう。
コロナにはくれぐれも気をつけてください。私も気をつけます。

2017年4月8日土曜日

川越 中院・喜多院の桜も満開です!






喜多院の直ぐ南にある天台宗別格本山中院(なかいん)。落ち着いた佇まいの寺院である。中院は島崎藤村ゆかりの寺院でもあり、境内には川越市の文化財に指定された島崎藤村の義母加藤みきの墓がある。ここの桜は、幹も大きく、樹としての全盛期を見せているかのようである。毎年、どんなに時間がなくてもここの桜だけは見に行く。今日は、時折、霧雨の降る天気であったが、空を埋め尽くす無数の花びらに圧倒され、全ての雑念を忘れて見入った。


中院のすぐ北側に仙波東照宮、喜多院がある。徳川家康は、1616年、駿府城で亡くなり一旦久能山に葬られた。翌年、日光に改葬前の323日から26日までの間、遺骸を喜多院に置かれた。天海僧正が導師となり大法要を営んだ。このことから境内に東照宮が祀られ、1633年社殿が造営されたという。その後、1638年川越大火により喜多院はほぼ全焼したが、徳川家光の命により川越藩主堀田正盛が奉行となり再建。喜多院の書院には三代将軍徳川家光公の乳母である春日局の「化粧の間」があるらしい。喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗寺院

2015年4月11日土曜日

平成27年度が始まって、10日が過ぎた

平成27年度が始まって、10日が過ぎた。

バンコクに行った娘は、昨年6月に男の子を出産した。10月に休暇を取って2泊3日で娘と初孫に会いに行った。娘夫婦も子供もみな元気で快適な生活を送っているのを見て、湧き上がる感動を抑え切れなかった。

バンコクは初めて訪れたが近代的な大都市であった。通りを娘たちと車で走るとどこか懐かしさを感じるアジアの街並みがあった。タイの人々の生活があった。折しも政変の最中であったが不穏な雰囲気は全く感じられなかった。日本を出る前は少し心配していたが、心配無用であった。
子供の4ヶ月健診で病院に一緒に行った。バンコクで最大の病院でその設備、患者に対する応対はまさに「おもてなし」であった。タイ以外の国から健診や治療に訪れる外国人も多く、メディカル・ツーリズムの現場を目撃した思いがした。この点では、まだ、日本は出遅れている。










 娘家族はバンコク市内のセキュリティの行き届いたマンションに住んでいた。交通の便や買い物も便利な場所であった。着いた夕方には、みんなで市内のレストランで食事を共にした。店員は気軽に私たちに話しかけ、生後4か月の赤ちゃんを代わる代わる抱いてあやしていた。賑やかな楽しい食事であった。










左の写真は娘夫婦の部屋から写したものである。













右の写真は健診で行ったバンコク最大の病院からのものである。バンコクを訪れたのは、10月の初めであったが、そんなに暑くもなく、いい時期あった。蒸し暑いのかと想像していたがそんなこともなかった。


今日は、こうして久しぶりにブログを更新した。仕事も忙しく、なかなか更新する気分になれなかった。
書きたい題材としては、福島の原子力発電所問題、尖閣諸島問題、竹島問題、慰安婦問題、北朝鮮に関連する問題、世界経済の動向等々、事欠かないが持論を展開するのもはばかられるので、意外と書けないものだ。


ところで、プロフィールにも書いたが、この4月から日本版NIHということで、国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)が設立され、そこに異動となった。これまでの独立行政法人 科学技術振興機構(JST)で担当していた再生医療の仕事を引き継ぎ、日本の再生医療研究の推進と早期の実現化に向けて、微力ながら日々奮闘中である。




    

2014年2月15日土曜日

先週に続き南岸低気圧による大雪警報出る

三番町から16号線新宿町(北)交差点方向を望む
先週の2月8日も大雪警報が発令されたが、バレンタインデーの14日夕方にも川越に大雪警報が出た。この大雪は先週と同じく、日本列島を北の冷たい寒気が覆っているとき日本の太平洋側を暖かい低気圧いわゆる南岸低気圧が太平洋側を通過するときにもたらされるものだ。
今回は5cm程度かと思っていたら、20cm近くも積もった。雪は日付が変わって15日の午前3時過ぎまで降り続いた。
今回の雪が前回と違っていた点は、今回の雪は湿ったものであった、前回はふわふわのさらさらだった。道路の両側に寄せられた雪が溶けて数センチのシャーベット状になった雪と水溜りが歩行者を悩ませた。
中央の明かりは遅くまで営業しているピザ屋さん


私は遠近両用の眼鏡を使用しているが最近パソコン画面が見ずらくなったので、眼鏡を買いにこのシャーベット状の雪道を歩いた。
「遠近両用」眼鏡は便利だ、1本の眼鏡で車の運転もできるしデスクワークもできる。
しかし、このところパソコン画面がぼやけて見づらくなった。特に午後になると疲れが出て来るせいか見づらくなる。

急ぎの作業をパソコンで処理しているときなどは随分とストレスを感じる。
近隣の住宅
そこでもう少し度を上げたレンズにしたいと思い眼鏡屋さんに行くことにしたのだ。



いや~、驚いた。「近近」眼鏡というものがあった。
パソコン画面の距離(おおよそ50~1m)と新聞を読んだりする距離(30~35cm)に焦点を合わせた眼鏡だ。デスクワークには最適だ

川越駅アトレ方向を望む
場合によっては、今、使っている遠近両用と新たに「老眼鏡」を買い求め、2本にするしかないと思っていたら、「遠近」と「近近(きんきん)」という組み合わせがあったのだ。
そこで、今の遠近両用眼鏡のフレームは気に入っていたのでレンズのみを交換することにし度数を調べてもらった。
思いもよらなかった「近近両用眼鏡」を新たに頼んだ。来週、できあがる。

私のメガネ生活のクオリティは飛躍的に向上することになる。

2014年2月8日土曜日

近年希にみる大雪が東京に降った、川越に降った

 2014年2月8日土曜日は、日本人にとっては今後人々の記憶に残る日の一つとなるだろう。
一つには、冬季オリンピックがロシアの黒海に面した都市ソチ(Sochi)で開会式が開かれた(現地時間2014年2月7日金曜日20:14開会、日本時間2月8日1:14)。
 いきなり、余談になるがOLYMPIC CHAPTER(オリンピック憲章)規則 32 付属細則 によると「オリンピック競技大会の競技期間は、16 日間を超えてはならない。」とある。
16:50頃
なので、金曜日に開会式を行ない、16日後の日曜日に閉会式としているようである。オリンピック憲章を読むと実にいろいろなことが決められていて、「あー、そうだったのか!」と思うことが多い。インターネットで検索するとすぐにヒットするので、是非、一度ご覧になると面白いですよ。
 しかし、6日にフィギュアスケート団体やフリースタイルスキー女子モーグル予選などの一部の協議が始まった。「それって、16日間を越えているんじゃない?」と思えるが開会式の日は競技をしていないから、競技期間制限内に収まっているということだろう。

部屋から南方向を望む(16:50頃)



近隣の住宅(21:00頃)
 もう一つは、ここ十年くらいの間では降ったことのない大雪である。全国的な大雪だ。関東地方では2月8日未明から降り出し一日中振り続けた。東京では、夜8時くらいまでに25cm、45年振りの大雪とか。ここ川越では、先程(21時前)に測ってみると少なくとも23cm以上の積雪があった。記録によると東京では、1883年に46cm降ったそうだ。
 ゴムの長靴を履いて ふかふかの雪を蹴散らしながら歩いてみた。
真っ白で、ふわふわで、綺麗だ。何もかも忘れて童心に帰ったひと時だ。
どうして、雪はこんなに心をワクワクさせるのだろう。
雪国の人にとっては、そんな思いなどないかも知れない、ただ、厄介な空からの贈り物なのかも知れない。
雪国育ちでない我々は子供の時から雪が降ると大はしゃぎだった。空に向かって大きな口を開けて、走った。小学校の時など、大雪が降ると授業をやめて、先生も生徒もみんな外に出て雪合戦をしたりした。


三番町から駅方向を望む(21:00頃)
 じっと部屋にいたけど、窓から外の雪を眺めていたけど、ちゃんと雪が見たくなって、雪に触れたくなって、外に出た。

 

2013年10月20日日曜日

平成25年秋の川越祭り

平成25年秋の川越祭りは、10月19日(土)、20日(日)だった。
日曜日はあいにくの雨となった。

私は、祭りを早く見に行こうというはやる気持ちをぐっと抑えて、土曜日の昼過ぎから散歩に出かけ、いつものように川越市街を抜け郊外へ出て入間川沿いを歩いた。
入間川の水量は、台風26号の影響でいつもよりは勢いよく流れていたが、まだ少し濁っていた。
入間川の両岸にはサイクリングロードが整備されていて散歩には歩きやすい道だ。ときどき、道から外れて川岸に下りたりしながら、ぶらぶらと歩く。
季節の移ろいを風の流れや草花に感じられ、自然と自分一人の世界に包まれる。街の騒音も聞こえて来ない。
聞こえて来るのは、水の流れる音、風の音、鳥の声、遠くを走る電車の音。
音楽やラジオを聴きながら、歩くことも多い。








途中、以前にもこのブログで書いたことのある「かわごえはし」に来た。もうすっかり秋の雰囲気に包まれていた。この橋のたもとには百人一首が描かれている。

枯れかけた夏の草が一層、秋を感じさせた。
一人の70代と思える男性が自転車から降りて、写真を撮っていた私に話しかけて来た。
「私は、このあたりからずっと向こうの山並みを見るのが好きなんです。綺麗ですよね。」とその男性。
「えぇ、そうですね。」と今日は曇りで見えないが晴れた日には遠くに富士山を望むことができることを思い出しながら、相槌を打った。
男性は、自転車を立て掛けて私のそばに近寄って来て、
「これは何ですか。」
「和歌です。百人一首ですね。洒落てますよね。この橋はこの入間川にかかっている橋の中では珍しい橋で、橋の欄干にもレリーフが何枚もあって、川越祭りのものもあるんですよ。」
「そうですか、今まであんまり注意して見たことがなかったなぁ。」

しばらく、その男性は私と話し、「じゃ、また。今日はいいものを見た。じゃ。」と自転車に乗って行った。
「じゃ、お元気で。」












3時間ほど歩いて、再び川越の市街に戻った。祭りの行われる中心部は交通規制も行われていた。すでに山車も出ていて交差点には4台もの山車が絡み合っていた。












4時前から小雨が降り出した。歩行者天国となった道路は人があふれ、なかなか思うようには進めない。露店は、その数を知らず。どの通りを見ても露店がずらり。食欲をそそる匂いだ。
この後、雨は日曜日の夜まで続き、珍しく雨の川越祭りとなった。

夜の川越祭りは、ほんとに綺麗だ。








2013年9月8日日曜日

Olympic games Tokyo 2020 招致決定 おめでとう!

2020年 東京オリンピック 招致が今朝決定した。
前夜からずっとテレビに釘付けだった。マドリッドか東京か、はたまたイスタンブールか、やきもきした。世界中がIOCの決定を待った。

日本チームのプレゼンテーションは、投票権をもつ委員の心をつかむことができるか、心を動かすことができるか。イスタンブールのプレゼンの出来はどうか、マドリッドはと・・・
福島第1原発の汚染水漏れの影響はどれくらいマイナスになるか、心配はつきない。

日本チームのプレゼンは、最高だった。おそらく、100点満点だろう。もう一回繰り返してもあれ以上の出来は難しいと思える出来だった。
素晴らしかった。感動した。ビジュアルもよかった。日本中が感動した。

一回目の投票では、東京40票、イスタンブール26票、マドリッド26票。
いずれの都市も過半数には達しなかった。
最終的に東京60票、イスタンブール36票、東京は経済力、安全性、安定性などで高く評価されたようだ。
敗れたイスタンブール、マドリッドには申し訳ない気もする。
これらの都市のためにも東京は、日本は頑張って「東京、ありがとう!」と言われるようなオリンピックを目指さなければならない。

7年後の2020年のオリンピックに向けて、日本は大きく前進するだろう。
経済効果もさることながら、人々の精神的高揚効果は計り知れない。
これで景気はきっとよくなる。
20年も待った久々の明るいニュースだ。
「明るい目標」を持てたことは、大きい。すべての人々に明日に向かって生きる力を与えてくれた。

日本を訪れる海外からの旅行者に、日本の心を届けよう!
「おもてなし」(滝川クリステルさんがプレゼンテーションで言った)の心で迎えよう!

2020年7月オリンピックをみんなで観よう!

そのときまでに、東北の大震災からも、長い不況からも脱出しよう!
そのときまで、そのときまでは・・・
そのときは、2020年7月24日から8月9日!