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2011年2月19日土曜日

南極海での調査捕鯨は打ち切りとなった

農水省が南極海での調査捕鯨を打ち切った。シー・シェパードの反対活動のためだそうだ。
鯨やイルカの肉を食べることに人間はなぜ抵抗を感じるのだろうか。
日本人は、昔、普通に鯨の肉を食べていた。私も子供のころはよく食べた。
子供心に、映画やテレビで南極の荒海で捕鯨船の舳先(へさき)に立って鯨に向かってモリを打ち込む様子に、息を飲み、「あっ、痛そうー。」と思ったものだ。
しかし、そんなことを思ったのはその映像を見ているときだけであって、鯨の肉を食べるときには、そんなことはすっかり忘れて食べていた。

しかし、2011年の今、どうだろう。
食卓から鯨肉が消えて久しくなり、鯨肉と聞くこともなくなったが、鯨肉と聞くと「えっ、鯨の肉?!」と何とも言えない違和感のようなものを感じるようになった。
「そんな肉を食べていいの?」という気持ちと、「まだ、鯨を捕ってるのかー、そうか、あの調査捕鯨の肉かな?!」とか思うようになった。もう、正直に言えばまったく食べたいとは思わなくなった。

牛や羊は平気で食べるのに。どうして、こんな気持ちを持つのだろう。
日本人は鯨の肉を食べたくても牛肉や豚肉を食べたいだけ食べれるのようになったこともあろう。
鯨肉独特の食感や臭いが嗜好に合わなくなったと言えるかも知れない。

私が鯨肉を食することに対する嫌悪感を感じる最も大きな理由は、鯨の知性や知的な仲間で協同して捕食する姿や優しそうな目で我々人間を見つめる眼差しである。
鯨やイルカには、高い知性を感じる。
我々人間の行動をさまざまな愚行を見透かしているかのような感じさえ、あの目を見ると感じる。
我々と鯨やイルカとは、ずっとずっとその昔、とても親しい関係にあったような気さえする。
空想的な話で笑われそうだが、その昔、彼らとは一緒に共同して生活していた。
まるで同じ種のように。
しかし、何かの理由で彼らは海での生活を選んだ。
我々は陸での生活を選んだ。
彼らと我々はもともと友達、親友だったかも知れない。

生きること、生きるために食することは自然の摂理であり、生きるために必須の行動である。
しかし、我々は考えなければならないことがある。
それは理由のいかんを問わず、人間は多くの種をこの地球上から滅亡させている事実である。

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