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2011年1月23日日曜日

安い製品至上主義は日本人の生活を豊かにするだろうか。

 日本の物価は、総務省統計局の消費者物価指数によると平成17年を100とすると、平成22年11月の総合指数は99.9、生鮮食品は99.4、食料品は97.6でわずかながら下降傾向にある。

テレビをはじめとする家電製品、衣料品、自動車は、大幅に下落傾向にある。
「安いことはいいことだ!」と安い製品至上主義を、製造業者も、販売会社も掲げ、それを消費者は享受した。企業努力と技術革新により価格はどんどん下がった。
しかし喜んでばかりはいられない。
たとえば、薄型テレビでは、企業の決死の努力にもかかわらず、薄型テレビの世界市場は韓国勢に圧倒的に制覇されている。
自動車は、どうか。ハイブリッド自動車は、世界の多くの企業が参入を明らかにしている。いずれ、国内での製造ではコストパフォーマンスが得られなくなるであろう。コストの安い海外生産への道は避けられないだろう。
衣料品はどうだろう。良質低価格で大量生産、大量供給で店舗数を拡大している企業がある。

「良いものを安く。」の考え方に落とし穴が隠されていた。良いものであることはまず当然である。品質がまともであって、はじめて商品と考えるべきであるからである。

問題なのは、実は、この「安く」である。
企業はこの「安く」を達成するためには、経費、とりわけ、人件費を抑えなければならない。
安価な製品の利益は少ない、したがって、大量に作らなければならない。薄利多売である。
しかし、前回、述べたように、人口構成が変わり、もはや大量消費時代ではないのである。
だから、作ってもそんなに売れない、売れないから当初考えていた価格よりも安く設定するしかない。企業は思う、利益は少なくなるが仕方ない。それでも売れない。
そこで困った企業は、もっと安くすることを考える。
人件費を削減することを考える。給与を減らす。それでも間に合わないから、人員削減する。それでも間に合わないから、日本での生産を諦め、海外での生産に切り替える。
海外生産に切り替えた企業の社長は、鬼の首でも取ったからのように鼻息も荒く発表する。
彼ら経営者のやっていることは、そんなに立派なことだろうか。
海外で製造・生産している企業は、現地で労働力を調達する。そこで働いている日本人はわずかである。そういう経営者に「あなたの会社の社員は泣いているよ。」と言いたい。

労働者は消費者でもある。消費者は、一方でこういう安い製品を作っている人達なのである。
安い製品を作っているから(正確には作らされているから)、給与は低くなる。
挙句の果てに解雇される。冗談じゃないと思いませんか。
何ともやりきれない、おかしな循環である。

日本の企業は、経営者が保守的で挑戦することに臆病である。自分だけリスクを取るようなことはしない。これは政治家も同じである。日本人の国民性なのである。しかし、これでは、世界の企業と伍して行くことはできない。ましてや、世界のトップなど程遠い。
現在の大手企業の経営者は、自社のすでに金のなる木となった主力製品、主力技術に固執し過ぎである。
敢えて、簡単な例を申し上げたい。例えば、自動車産業、ハイブリッド自動車に全精力をかけても明日はない。ハイブリッド自動車は中途半端なのである。すぐに他の追随を許すことになるだろう。
現在の技術のその延長線上にある技術に勝利の女神はほほ笑まないものである。
いい思いをするのは、その「時」の社長だけである、一時的な美酒に酔うことができるだろう。

日本の生きる道は、日本人にしかできないことをするべきである。
少なくとも10年は他の追随を許さないほどの技術を仕込んだ製品・商品で勝負をするべきである。
商売も同じである。自分にしかできない技術や経験を基にした商品、サービスで戦うべきである。
誰でも考えるような、少し努力すれば他の誰かでもできそうな商品では勝てない。
「考える」、考えるのである。
我々、日本人は、今こそ、考えなければならない。

「2位じゃだめなんですか?」、2位じゃ、だめに決まっているのです。
こう言ったあの女性も本当は、2位じゃだめだと一番よく知っている人だと思う。
だから、敢えてそう言ったと思う。
なぜ、あのとき、応える側にいた人は「2位じゃ、だめなんです!」と言い切れなかったのか、それが今の日本人に共通する問題なのではないだろうか。

みんなで考えましょう!
ほんとうに我々、日本人を豊かにすることができる方法を。

我々日本人にしかできない商品を、薄利多売ではなく、厚利多売(多売は必ずしも必要ない)する方法が必ずあるはずです。
薄利多売はお隣の大国、中国にお任せすればいい。



少し休憩のお話をしましょう。

この写真はイタリアのトリノに仕事で行ったとき、時間の合間に訪れたバレンチノ城のものです。
綺麗というか華麗なお城でした。

「阿吽(あうん)の呼吸」って、ことがありますよね。山門の仁王像や神社の狛犬は口を開けて「阿」(息を吐くときの形でもある)、口を閉じて「吽」(息を吸うとき)と言っているような口をしています。 








このバレンチノ城の壁(窓の上)に飾ってある顔の像も阿吽になっていました。
私は思わず、「へぇー!」て声が出てしまいました。
「阿吽」のルーツはどこにあるんでしょうね。

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