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2011年1月12日水曜日

今、日本経済に何が起きているのか。景気はよくなるか。

最近、「景気が悪い。」、「政府は何もやってくれない。」、「今の政府は無策だ。」、「景気対策がなってない。ちゃんとした景気対策を打つべきだ。」、「景気がよくならないと何をやってだめだ。」、「景気が悪いからモノが売れない。」というような意見や考え方が日本中に蔓延している。
「とにかく景気がよくならないと・・・」と誰もが言う。
ほとんどのテレビも新聞も政治家も経済学者も口を揃えて言うのだが。

ところで、そもそも「景気」って、何だ。
みんなで書き込みにより作成した辞書「ウィキペディア」によると「景気(けいき)とは、売買や取引などの経済活動全般の動向のこと。」とある。
さらに、
日本語における「景気」という言葉は、中世に和歌の批評における余情意識を表現する用語として用いられており、景色・雰囲気などの意味合いを込めて使われてきた。(『方丈記』など)転じて評判や人気などの意味にも用いられる場合があった、とも。
また、
経済用語としての「景気」にも実体経済の動向のみならず、これに伴った世間一般の社会的心理をも含めて捉えるケースも多く、英語などの他の言語には正確に合致する単語はないと考えられている、とも。

どうも、景気は多分に人々の心理状態が反映されているようだ。景気は世間の人々の気分、気持ちで形成されている言ってもいいかも知れない。

我々は、一体、どんな景気を望んでいるのだろうか。

モノを作っても作ってもどんどん売れて、収入が増えて、個人の保有する財産である土地や家や株の価値が上がる、バブル崩壊以前の経済状態への回帰へ夢、妄想に取り付かれているというか、忘れられないでいる。
未だに、「いやー、あのときはバブルでしたから。もう、あんなことは起こらないですよ。」と自戒的に自嘲的に言いながら、実はあの頃の景気が来るのを密かに待っているのである。

結論から言えば、あのときのような景気は、もうやって来ないと考えるべきである。
理由は、簡単。あの頃と現在は、事情がまったく異なっているということだ。
人口動態の図が示すように、1980年代の消費を支えていたのは、戦後生まれの団塊の世代、すなわち、1950年前後の世代の人々が30代、40代となり豊かな生活を謳歌していたのである。さらに、団塊の世代の子供たち、すなわち、団塊ジュニア達がこうした親達の経済力の下、消費活動を楽しんでいたのである。

一方、現在は、どうなっているかと言えばその団塊の世代の人たちは、今、まさにどんどんと定年を向かえて穏やかな第二の人生に入っている。もう、若いときのように車も必需品ではないし、何かについて消費量も減ったのである。
食品だって若い時のようには食べないし、おしゃれもそんなにしたいとは思わないし、ブランド品である必要も感じないし、身綺麗な格好であればそれで十分と考えているのである。
人口動態が示すように、今後は、消費を支える人口はどんどんと先細って行く一方である。

さらに困ったことに、そうした定年を迎えた大人たちは、安い商品に群がる。安い衣料品、安い食品、燃費のいい車、これは単に環境に優しいいうことだけで選ばれているわけではないだろう。
経済的に優しいものを求めているのだ。もう、これまでのように収入はないのだから、好むと好まざるに拘わらず節約、倹約をしなければならない。
その需要に応えて、企業はより安いものを造る。安いものを作っている人の賃金は当然低くならざるを得ない。だから、ますます、収入は減り、ますますモノは買えなくなる。そして、その状態をいち早く察知した企業は、生産拠点を海外に求める。安いものを作っていた人達は仕事も失う。

だから、政府がどんなに頑張ろうとどんな政策を打とうが急に人口は増やせないし消費は増えないし、国としての経済力、国力の増強は望めない。政府があまりに無策であるのは言うまでもないにしても、我々としては、まずこの人口動態の変化による経済活動の変化についての認識を持つことが必要である。この認識があるとないとでは、これからの生き方、考え方が天と地の差ができる。

政府が変わるのを待つより、我々がまず先に変わろう。その方が手っ取り早く速効性もあるってりうものだ。一日も早く、我々は考え方を変えよう。
だって、我々の生活は今日も切実なのだから。

では、どうすればこの事態から抜け出せるのか、考えてみよう。
次回は、この話を中心に書いてみたい。

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